非常勤スタッフ募集
2024年3月20日
『アルクだより』は、平成4年に第1号が発刊され、現在、No.256を数えています。アルクだよりの連載記事の一つ「窓を開ければ」に掲載された多くの通所者さんの声をお届けしたいと思います。今回は2021年5月30日発行251号より、掲載させていただきます。
*文章を掲載するにあたり、原則として施設名称等を含め執筆当時の原文のままとしておりますが、個人情報や一部の固有名詞等は変更しております。
2022年5月1日
『アルクだより』は、平成4年に第1号が発刊され、現在、No.254を数えています。アルクだよりの連載記事の一つ「窓を開ければ」に掲載された多くの通所者さんの声をお届けしたいと思います。今回は2006年9月21日発行104号より、掲載させていただきます。
*文章を掲載するにあたり、原則として施設名称等を含め執筆当時の原文のままとしておりますが、個人情報や一部の固有名詞等は変更しております。
2022年1月20日
『アルクだより』は、平成4年に第1号が発刊され、現在、No.253を数えています。アルクだよりの連載記事の一つ「窓を開ければ」に掲載された多くの通所者さんの声をお届けしたいと思います。今回は、昨年の249号より、掲載させていただきます。
*文章を掲載するにあたり、原則として施設名称等を含め執筆当時の原文のままとしておりますが、個人情報や一部の固有名詞等は変更しております。
2021年11月11日
『アルクだより』は、平成4年に第1号が発刊され、現在、No.252を数えています。アルクだよりの連載記事の一つ「窓を開ければ」に掲載された多くの通所者さんの声をお届けしたいと思います。今回は、最初に通所者さんの声が掲載されたNo.102号からご紹介したいと思います。
*文章を掲載するにあたり、原則として施設名称等を含め執筆当時の原文のままとしておりますが、個人情報や一部の固有名詞等は変更しております。
アルクだよりNo.102(2006年7月12日発刊) 「窓を開けば~通所者の声」より
<<アルクデイケアセンター>>
自分勝手で金が入れば明日の事など考えず全部使ってしまう生活で、行く場所もなくなりバッグーつを持ち区役所から、自立支援施設に部屋が空いていたのですぐに入ることが出来ました。 次の日、自立支援施設の職員と診療所に行き、アルコール依存症と診断され、私は1月20日にアルクの門を叩いて通所する運びとなりました。
主治医からこのまま飲み続けると2~3年で死にます。と言われ目の前が真っ暗で、何が何だか分かりませんでした。 アルクデイケアセンターA室の午前、午後及びAAミーティングを休まないで通い続けました。ある日職員より真剣に話を聞いてみな、そうすると分かって来るよ。その日からプログラムを何回 も繰り返し読んでいました。
「そうだ、認めて信じてお任せなんだ」・・・涙が止まりません。心底思える自分、仲間の輪から離れなかったことで気付きがもらえたこと、生活面では感情のコントロール、物の考え方、居場所がある。飲んだらどうなるか(もっと苦しくなる)逆戻り、マイナスからやり直しの人生を送ることになる事も職員が注意するんだ、自分自身のことなんだと取り組んでいくように。このアルクとの出会いがなかったら今の私はいないかもしれません。これから先も原点(一人では生きていけなかった事)を忘れずに一歩一歩地に足を踏み続け、前向きに常に感謝の気持ちを持ち、謙虚に素直に第二のスタートと思い、心新たにして頑張っていきたいと思います。
<<第2アルクデイケアセンター>>
私は昨年5月にアルクへ通所することになりました。 そこで提案されたことは、酒をやめ続けることでアルクのプログラムに沿って行動していれば、 必ず飲まない生活ができると言われ、とりあえずはその流れに乗ってプログラムに従っていました。 毎日ミーティングを重ねていくうちに、少しでも飲まない行動がとれるようになり、体が楽になっていくのを感じました。
しばらくたって自分自身の欠点「高慢さ」が壁となって立ち塞がりました。 なんとかしてこの欠点をとり除こうとして悩んでいました。 そんな時、第2アルクへ通所することになり、そこでステップのプログラムを受けるようになった のです。ステップの1,2,3を繰り返してやっているうちに、自分の無力さに気づかされどんなに身勝手だったかを知らされました。その時、目の前の「高慢さ」が削られ壁の向こうには希望と言う文字が見えたのです。これからも今日一日という言葉を胸にステップを生きていくための種として歩いていきたいと思います。
<<第3アルクでの感想 >>
今から1年3ヶ月前ただ単にパン券でもいただこうかと区役所を訪れたのが事の始まりでした。第1アルクA室から通所させていただいたのですが、当初はどうにも毎日が嫌で、数日でリタイヤかなと思っていました。しかし習慣とは恐ろしいもので、職員、仲間の話を拝聴しているうちに共感することも多く、またアルコール依存症の恐ろしさも、再認識するようになりました。B室、第2アルク、第3アルク・デイケア・センターと順調に進み、仲間と共に和気あいあいと過ごしております。現在断酒の勉強の他に、ボランティア活動、書道の勉強、読書等楽しみも大変多く毎日張りのある生活をしております。
現在の状態を大切にしていけば、決して悪い方向へは行かな いものと確信しております。
<<本牧荘の思い出>>
平成17年7月31日から本牧荘での生活が始まり、最初は自分にできるかな?と思った部屋の掃除、味噌汁、ご飯炊き、洗濯、飲んでいた時はできなかった事が少しずつ出 来るようになり、8月 15 日から8月26日まで病院の眼科に入院している間に、一人の方が飲酒退所になり、私は一人部屋になりました。私の本牧荘での目的は、アパートでの暮らしでしたので、私が本牧荘で学んだ事がと ても役に立ちました。ただ残念な事は、私が本牧荘に入ってから2人の飲酒退所者が出た事です。それから本牧荘IからIIの方に移りアパートでの生活の練習した事がとても役立っています。特に隣近所との付き合い方、少しお金のコントロールがつくようになりまし た。 とても良い事は調理教室が私の良い勉強になりました。今振り返ると、本牧荘での 1年はとても早い1年でした。本牧荘を平成 18年6月 27 日に円満退所し、アパートに移り今はアパートからアルク、夜の AA に行きます。今の生活は全て本牧荘で訓練を重ねてこれた結果だと思いま す。これからも本牧荘での経験を活かし、飲まない生活を続けて生きたいと思います。本牧荘の職員さん、本牧荘の仲間、一年間どうもありがとうございました。
2021年9月1日
飲まない“奇跡”の先にある“希望”
九州男児の気風もあり「高倉 健」さんのような男性が理想でした。
(もちろん、理想と現実は違い、だからアルコールが必要だった?)
人前では陽気を飾り、悩み、苦しみを人に相談して解決するなど、当時の自分にはできませんでした。
実家は裕福ではありませんでしたが、兼業農家だったので食べるものには困らず。ワンパクで逞しく育ててもらいました。父は家長で鉄の掟(ワンマン)でした。上機嫌のときは良いのですが機嫌が悪いと近寄れません。母親は僧侶の長女で「しっかりしなさい」と躾がうるさかったです(愛情だったのでしょうが)。
再婚同士の両親を尊敬できず、人に相談することが身につかず、信頼関係が築けない特徴(AC問題)があると、アルコール治療に繋がって2~3年後に理解することができ、父に対する恨みが和らぎました。
【一発逆転】
初めてブラックアウト(飲酒による記憶の欠落)を経験したのが19歳のときでした。辛いことや嫌なことは酒を飲んで忘れてしまえ!の【一発逆転】を獲得し、得意技だと思っていました。
【浮世の憂さ晴らし】
仕事は嫌いではなくガテン系(肉体労働)職業で、休日返上出勤し遊興費に充てました。飲酒運転や暴力事件で警察介入があるたびに、母や会社の上司が引き取りに来てくれていました。アルコール問題はありましたが、当時は訓練したら上達すると思い込んでいました。まさか体質の病気だったとは!
サラ金・ローンが増えていくばかりでしたが、自分は「借金も財産のうち」と人前では豪語していました。部屋に帰り一人になると「どうしよう?困ったな!」です。そんな自分(現実)が嫌でまた一升瓶に手が伸びていく。
無理がたたったのか?24歳で大腸癌オペ、25歳で転移性肝臓癌で再手術を行いました。将来への不安や身体不調の理由で睡眠導入剤「ハルシオン」を処方してもらい、アルコールと併用するようになり、10年お世話になった会社を失職し、居候していた実家も居づらくなり新天地を求め関東へ。
【路上生活】
業務ミスや欠勤も増え、2002ワールドカップサッカーもろくに見られない。こんなに酒を飲まなければいけないのは「仕事のストレスだ」と思い込み、アパートの家財道具もそのまま放置し、職場近くの河川敷でプチホームレス生活が始まりました。酒量が減る?かと思っていましたが、やることないので結局、飲むしかない生活が1ヶ月ほど続きました。
所持金がなくなり、未払い金催促するために、盗んだ自転車で元職場へと向かい、酒の力で半ば強引に集金しましたが、多摩川河川敷で寝泊りしていたある日、酒がなくなり酒屋に行こうと思い、酔っていたのか高さ4メートルの堤防を自転車で駆け上がりたい衝動でした。酔った頭と体なので途中で転倒し、右顔面に大きなすり傷を作り3ヶ月ほど傷跡が残ってしまい、就職活動はおろか人と話もせず(鳩とスズメが話し相手)、自分を見捨てた家族・社会を恨んで飲むしかありませんでした。プチホームレスのつもりでしたが本格的な路上生活が10ヶ月続きました。
人生に対する態度と展望が枯渇し、どうせ自分なんか酒も上手に飲めないダメ人間だと思うようになりました。当時はそうするしかなかったし、その経験が今に生きているのだと自分は思います。
寿町にたどり着き、自立支援施設はまかぜへ入所し人生初の精神科受診となり、ことぶき共同診療所の鈴木 伸Drから晴れて?「アルコール依存症」の診断を戴き、36歳の平成15年11月に旭区の神奈川病院にアルコール治療で入院しました。
【脱走計画】
自立更正施設「民衆館」入所と同時に夜のAA参加が始まりました。まだステップ3(委ねる)の決心がつかず中途半端に考えていました。
区役所CWさんのアドバイスで身体障害者手帳と障害年金申請し、一時金が300万円受給することができました。通帳から現金を引き出し2晩を葛藤しました。
半年近くのミーティング出席と仲間の姿を見せてもらった(ステップ1)おかげで「お金を使い果たしたら、また飲むしかないし、もう横浜市に世話になれないかも」と思い直し、保護費返還となりました。
【仲間と共に今日一日】
同期のある仲間の表情がだんだん険しさが少なくなり、自然体で過去の出来事を話すんです。辛そうじゃないんですね。労を惜しまずプログラムに取り組んでいて回復のモデルを見せてもらったんです。
飲まない生き方はまるで「暗い夜道」に似ており、おっかなびっくりでしたが、昼夜も近くに(嫌でも?)仲間がいてくれました。いろんなことに反応・誘惑されながらでも、自分には仲間とサポート体制(医療、施設担当者、CW)が整っていました。
「飲まないために道具として使ってください」とスタッフから言葉をもらいました。その言葉を自分も利用者さんに使わせてもらっています。
【ハイヤーパワー】
・ソーバー3年経過した頃、20代半ばからの微熱体質が改善されました。酒の影響だったのか?精神的作用か?主治医もビックリ!?でした。
・その後、ステップ5をスポンサーにしていただき、平成20年にアルクスタッフとして声をかけていただきました。2年間お世話になった清掃会社に人生初の退職届を提出できました。
・もちろん飲まない生活を送れるのは奇跡といっても
過言ではありません。
そしてそしてまだ機会が訪れませんが、「当時の横浜市鶴
見区保護課:担当CWさん」と、「16年前に警察署に身
柄引き受けに来てくれた実弟」に埋め合わせすることが、
これからの希望です。
2020年7月17日
アルク便りでは職員の体験談をシリーズ化して連載しています。
今回は第1回目 『通所番号844からの回復』です
12回目の松影一時宿泊所へ入所をした僕は、平成11年10月14日第1アルク松影で初回面接を行いました。
当時の僕は盗んでまでお酒を飲むようになっていて、酔っている時だけホッとする感じでした。お酒が切れてくると冷や汗や手の震えもありました。どれだけ場所を変えても九州まで行って今度こそ上手くやろうとしても失敗を繰り返す毎日でした。JR横浜駅と東神奈川駅との間にある青木橋から自殺をしようと思った時、頭に母親が現れて 『死んでまで迷惑をかけるのか!!!』・・・と、死ぬことも母が許してくれない現実(これは幻聴だったのかな?)
ある日横浜市庁舎の軒下で寝ていた時に雨が降り出してきて段ボールが濡れてしまい寝床を関内駅にある自由通路へ移動、もうとば口しか寝るところも無く人通りの有る場所でした。少しウトウトした時に何か焦げ臭いにおいがしてきました。何と!僕が体に乗せていた新聞紙と段ボールが燃えているではありませんか!慌てて火を消しましたが段ボールと床に敷いていた毛布は焦げていました。なんで火をつけるの?悲しくなりました、その足で地下の防災センターへ助けを求めましたが、インターホーンでの対応だけで相手にもしてもらえず、雨の中泣きながら歩きました。僕は人間です!・・・と叫びました。こうやって母の声の時と火をつけられた時に一生分の涙を流しました。誰も話し相手も居なく・・・ただただ歩く毎日でした。
アルクの通所も苦ではなかったけど・・・僕はまだ軽いかな?って思いました。専門病院へも入った事もないし、お巡りさんのお世話にもなった事もないし・・・これはアルクを修了したら上手く飲めるのでは?と考えました。そんな時に同じ抗酒剤(シアノマイド)を服用していた仲間が昼休み食事に行きレモンハイを飲み抗酒剤で反応した姿を目の前で見た時にビックリしました。救急車を呼び搬送されました。これはとんでもない薬を飲まされているんだ!でも職員さんが言うには「お酒さえ飲まなければ・・・」そうだよな、飲まなければ大丈夫だと言われて一安心しました。考えたらお酒を止める施設で飲むことはダメなんだと、考えれば判ることなのに今なら笑ってしまいます。
AAへの参加もある日突然施設長から言われました。今までアルクのミーティングだけでも大変でしたが、歩いての会場めぐり、雨の日も風の日も雪の日も大げさではなく毎晩歩いて行きました。ある雨の激しい日に職員さんに言いました「靴が一足しかないから濡れたらアルクへも行けない!」どうにか行かない理由を探しました。しかし職員さんは「トイレの掃除用の長靴がある」と言いました。ありゃ~と思いトイレ掃除用の長靴を履いてAA会場へ行きました。この経験を踏まえて自立しても雨の日は長靴を履いて行けば良いと考えました。長靴はプライドの高い僕にはダサいとしか思えなかったのでした。
宿泊所から更生施設『民衆館』への移動が決まりました。ここが僕の大きな転換期でした、おこずかいがもらえる!『5千円』嬉しかったです43歳の大人が喜んだのです!!アルクでのプログラムも進み2-3廻り、就労の提案、何回か面接に行き落ちる経験をしました。自分は ダメなんだ~、そこで提案を破り昔の仕事スーパーの八百屋さんへ面接、合格!少し提案を破ったことが後ろめたかったけど働き続けました。アルクも修了し自立、ここからは一人での生活がはじまりました。AAへも毎晩参加しました。そこで育てられた僕は今17年の飲まない時間ができました。
先日あれだけ恨んでいた母が他界しました。母を恨んで20歳で家を出た僕は家庭も持ち子供も授かりましたがお酒でダメになりました。母はそんな僕を責めました自殺しようとした時も死なせてくれなかった母、今年6月妹からの緊急電話があった時行って良いのか?母も受け入れてくれないのでは?でも父が許してくれました。アルクからタクシーで市民病院へ行きベッドに横たわり機械に繋がれた母は小さくなっていました。最後を看取ることが長男としてできました。葬儀も父から長男として役目を言われ無事に終わる事ができました。あれほど恨んでいた母、僕がお酒を止めた事も知らずに息を引き取りました。残された父はまだ半信半疑です、ただ「お前がお酒を止めたことはえらい!」・・・と焼酎を飲みながら言いました。父には退職金でサラ金を清算してもらったこともあり目を見て話せなかったけど老いた父がこれから一人で生活をしてくのに何かできないかと考えています。
お酒に手を出さないで今日までこられたのも仲間のおかげとプログラムがあったからです。不安から始まり何回も飲みたいけど飲めない、昔に戻りたくない、こうやって断酒が継続できました。先日もAAミーティングで話しましたが経験と希望の分かち合い、不安から希望へと先行く仲間が見せてくれたように、僕も後ろ姿を見られていると気付かされました。
病気を知り、回復が出来ると!今日も利用者さんと笑顔で・・・僕の好きな言葉は『一日一笑』これは一時宿泊所からAAに通っていた時のテーマの一つです。
今も苦しんでいる仲間に経験と希望の分かち合いをし続けていきたいです。
2019年7月9日
施設利用者所外プログラムは以下のようになっています
1日 寿大豆まき大会(全アルク)
2日 運動プログラム(第2生活訓練・地域活動支援センター)
9日 冬季所外プログラム バスハイク (全アルク)
11日 イエローレシートキャンペーン(ハマポート)
16日 運動プログラム(第2生活訓練・第2地域活動支援センター)
20日 開港記念会館福祉バザー(ハマポート)
2017年1月23日
寿アルク施設利用者所外プログラム 11月は以下のようになっております
3日 寿アルク23周年記念セミナー(全アルク)
5日 みんなの運動会(全アルク)
7日 ソーラン節全体練習(全アルク)
11日 イエローレシートキャンペーン(ハマポート)
12日 スポーツプログラム(第2アルク生活訓練・第2アルク地域活動)
13日 みのわマックセミナー(第2アルク生活訓練・第2アルク地域活動・ハマポート希望者)
17日 ソフトボール 睦町公園 (全アルク)
22日 TSP多摩川河川敷ソフトボール(全アルク)
24日 スポーツプログラム(第2アルク生活訓練・第2アルク地域活動)
25日 ソーラン節全体練習(全アルク)
29日 アル施連秋のフェスティバル(全アルク)
30日 ことぶき福祉祭り(全アルク)
2016年10月30日
寿アルク施設利用者所外プログラム10月は以下のようになっております
4日(火) スポーツの日(第2・第3アルク)
8日(土) アルク秋季野外プログラム(バーベキュー&ミーティング) (全アルク)
9日(日) ワンステップ秋季ステップ・セミナー(第2・第3アルク)
11日(火) イエローレシート・キャンペーン(ハマポート)
14日(金) ことぶき共同診療所・合同運動会(全アルク)
18日(火) スポーツの日(第2・第3アルク) / 寿地区防災訓練(全アルク) / イオンバザー(ハマポート)
20日(木) ソフトボール(全アルク)・・・睦町公園
29日(土) ポレポレ祭り(ハマポート)
2016年9月23日
寿アルクの9月の所外プログラムは以下のようになっております
4日 みはらしポンテ・バザー出店(ハマポート)
8日 スポーツプログラム(第2・第3アルク)
11日 AA港北グループ30周年記念OSM(第2・第3アルク)
パシフィコ横浜バザー出店(ハマポート)
15日 ソフトボール(全アルク)
16日 調理プログラム(第2アルク)
17日 防災訓練(第2・第3アルク・ハマポート)
22日 スポーツプログラム(第2・第3アルク)
25日 アルク修了式(全アルク)
2016年8月27日
寿アルクの8月の所外プログラムは以下のようになっております
8月 8・9日 夏季野外研修 江の島1泊(第2アルク・第3アルク・本牧荘)
10日 夏季野外研修 江の島(第1アルク松影・翁)
11日 イエローレシートキャンペーン(ハマポート)
13日 AA寿グループ32周年OSM(全アルク)
15日 AA横浜グループ ミーティング参加(ハマポート)
16日 スポーツ・プログラム(第2アルク・第3アルク)
17日 AAニューポートGrミーティング参加(ハマポート)
18日 たんぽぽセミナー(第2アルク・第3アルク・ハマポート希望者)
25日 スポーツ・プログラム(第2アルク・第3アルク)
2016年8月1日
寿アルクの平成27年10月のプログラムは以下のようになっています
6日 運動の日(第2・第3アルク)
8日 寿地区防災パレード参加 (全アルク)
9日 ハマロード清掃(第2アルク)
横浜港見学会(ハマポート作業所)
10日 寿アルクバーベキュー&ミーティング(全アルク)
11日 AA旭Grセミナー参加(第2・第3アルク)
イエローレシートキャンペーン参加(ハマポート)
15日 ソフトボール(全アルク)
20日 寿地区防災訓練(全アルク)
23日 ことぶき共同診療所運動会(全アルク)
ハマロード清掃(第2アルク)
29日 運動の日(第2・第3アルク)
2015年9月30日
アルク便り188号ではゆく年くる年で利用者さんの感想文を書いていただきました
クリスマス感想文 【第3アルク F.U】
今年も昨年同様にアルクは歌を歌いました。各施設、薬物やアルコールやアディクションを持った仲間とともに過ごした短い時間の中で歌やおどり、第1松影の仲間が急にホールの真ん中で踊り出したり、その仲間は勿論シラフですが、本当に驚き、腹の底から笑いがこみあげてきました。
又、他の施設でたんぽぽさんの、あの不思議な歌と踊りの中で、鬼がバットを持って居たり、犬などの面をかぶり、仮装した人達を見た時、ここに居るいろいろなアディクションをもった仲間は、依存症と言う病気の中なのに、笑えましたが、一般の人が見たらびっくりして驚いたと思います。その後も仲間のハマポートの人達の作った焼きそばやケーキ、ジュース、お菓子、そしてメーンイベントのラッフル、今年もあたりませんでしたが仲間が当たったのでよかったです。1年は本当に早いもので、来年もこの行事には是非とも参加をしたいですね。その為には今日一日酒の無い生活を継続し来年も更に仲間と楽しいクリスマス会を迎えたいと思いました。
一年を振り返って 【第3アルク Y.K】
一月の上旬に第2に進めて頂き、色々な事を教えて頂きました。ミーティングを通して飲まない生き方を学んでいく事等、これからの自分にとって大きな意味を持つ事を少しずつ理解させていただきました。さらに9月の中旬、第3に進めて頂き、就労プログラムもつい先日修了させて頂きました。次はいよいよ就職活動だと順調に進んでいるのはうわべだけで、実のところ、過去の自分の大きな欠点である何に対しても逃げたくなるという点が今年一年を振り返って色々な場面で思い出されます。でも過ぎた事なので今年はここまでの自分だったと思う様にします。来年一年はできるだけ当たった壁から逃げない様にしていきたいと思います。何にしても、今年一年は自分にとって昨年よりも良い年でした。感謝したいと思います。
お正月の感想 【第1アルク 翁 H.N】
年の始まりとは、ある意味で大切な時であります。年頭にあたり一年の目標を決めて実行しようと考えます。若い頃は盆や正月には必ず酒がついている状態でした。今は体力的にも精神的にも酒を受けつけない体になっています。アルコールの恐ろしさは長年飲んだ後に様々な形で体に表れます。結果は決して良い物ではなく、悪い物だけが残ります。今に思えば最初の一杯が命とりでした。新年と共に飲まない人生を誓える気持ちです。酒に代わる他の物事を探して残りの人生を楽しみたいと思います。アルクに通所してこれから先の人生をみつめ直していきたいと心に思っています。
*酒は百害あって一利なし 人生を地獄に導く魔の水*
初詣に参加して 【第2アルク職員 I.Y】
1月3日(金)第2アルクは横浜橋商店街近くの大鷲神社に参拝に行きました。歩いて15分の近場で早い時間帯で終えました。望みが叶えられるよう祈るのも人それぞれですが、実行して初めて望みが叶えられる仕組みは、飲んでいた頃には理解すら出来なかった新しい発見です。
2014年1月16日
アルク便り 第187号からの抜粋記事です。
寿福祉まつりが11月21日(木)寿センター広場にて開催されました。その時の模様を報告します。(詳細を見るをクリックしたのちご覧ください。)
なお、画像記事をクリックするとPDFでご覧になれます。
2013年12月15日
市民の会 寿アルクは、 アルコールなどの依存症からの回復を手助けするNPO法人です。
デイケア5施設、グループホーム1施設、相談・サロンを中心にしたアルク・ヒューマン・サポートセンターを設置運営しています。
デイケア4施設は通所期限を設け、回復に合わせてプログラムを組み、365日年中無休です。
ハマポート作業所はミーティング・軽作業・レクレーション活動を中心に安心できるプログラムを365日提供し個々のニーズに合わせて支援しています。
アルコール依存症からの回復者本人が指導員として、手助けに当たり、お酒(薬やギャンブルなど)を止めたい願望のある人を受け入れています。
また、サポートセンターでは、相談員との「対話」と体験者との「分かち合い」を大切に、個々の力を取り戻すお手伝いをしています。
法人概要
名称:特定非営利活動法人 市民の会 寿アルク
住所:横浜市中区松影町3-11-2 三和物産ビル2階
電話:045-641-7344
ファックス:045-641-7352
理事長 三浦 保之
寿アルクの足跡
‘92.08 任意団体 市民の会 寿アルク設立
‘93.11 アルク・デイケア・センター開設
‘94.06 アルク・デイケア・センター寿地区移転
‘97.11 本牧荘(グループホーム) 開設
‘99.10 第2アルク・デイケア・センター 開設
‘03.06 第2アルク・デイケア・センター 移転
’05.07 第3アルク・デイケア・センター 開設
‘06.03 特定非営利活動法人 市民の会 寿アルク発足
‘08.07 アルク・ハマポート作業所開設
‘10.02 第1アルク・デイケア・センター松影(改称)
‘10.03 第1アルク・デイケア・センター翁 開設
‘11.02 アルクヒューマンサポートセンター 開設
‘14.12 認定NPO資格取得
‘16.11 第2アルク生活訓練センター(生活訓練) 開設
(旧第2アルク・デイケア・センター)
‘16.11 第2アルク地域活動支援センター
(旧第3アルク・デイケア・センター改称)
‘18.01 アルク翁(就労継続支援B型) 開設
(旧第1アルク・デイケア・センター翁)
‘19.11 ぷらんアルク(指定特定相談支援事業所)開設
2013年8月5日