アルクたより REBORN ~心が生まれ変わった物語 第1回 ~
アルク便りでは職員の体験談をシリーズ化して連載しています。
今回は第1回目 『通所番号844からの回復』です
12回目の松影一時宿泊所へ入所をした僕は、平成11年10月14日第1アルク松影で初回面接を行いました。
当時の僕は盗んでまでお酒を飲むようになっていて、酔っている時だけホッとする感じでした。お酒が切れてくると冷や汗や手の震えもありました。どれだけ場所を変えても九州まで行って今度こそ上手くやろうとしても失敗を繰り返す毎日でした。JR横浜駅と東神奈川駅との間にある青木橋から自殺をしようと思った時、頭に母親が現れて 『死んでまで迷惑をかけるのか!!!』・・・と、死ぬことも母が許してくれない現実(これは幻聴だったのかな?)
ある日横浜市庁舎の軒下で寝ていた時に雨が降り出してきて段ボールが濡れてしまい寝床を関内駅にある自由通路へ移動、もうとば口しか寝るところも無く人通りの有る場所でした。少しウトウトした時に何か焦げ臭いにおいがしてきました。何と!僕が体に乗せていた新聞紙と段ボールが燃えているではありませんか!慌てて火を消しましたが段ボールと床に敷いていた毛布は焦げていました。なんで火をつけるの?悲しくなりました、その足で地下の防災センターへ助けを求めましたが、インターホーンでの対応だけで相手にもしてもらえず、雨の中泣きながら歩きました。僕は人間です!・・・と叫びました。こうやって母の声の時と火をつけられた時に一生分の涙を流しました。誰も話し相手も居なく・・・ただただ歩く毎日でした。
アルクの通所も苦ではなかったけど・・・僕はまだ軽いかな?って思いました。専門病院へも入った事もないし、お巡りさんのお世話にもなった事もないし・・・これはアルクを修了したら上手く飲めるのでは?と考えました。そんな時に同じ抗酒剤(シアノマイド)を服用していた仲間が昼休み食事に行きレモンハイを飲み抗酒剤で反応した姿を目の前で見た時にビックリしました。救急車を呼び搬送されました。これはとんでもない薬を飲まされているんだ!でも職員さんが言うには「お酒さえ飲まなければ・・・」そうだよな、飲まなければ大丈夫だと言われて一安心しました。考えたらお酒を止める施設で飲むことはダメなんだと、考えれば判ることなのに今なら笑ってしまいます。
AAへの参加もある日突然施設長から言われました。今までアルクのミーティングだけでも大変でしたが、歩いての会場めぐり、雨の日も風の日も雪の日も大げさではなく毎晩歩いて行きました。ある雨の激しい日に職員さんに言いました「靴が一足しかないから濡れたらアルクへも行けない!」どうにか行かない理由を探しました。しかし職員さんは「トイレの掃除用の長靴がある」と言いました。ありゃ~と思いトイレ掃除用の長靴を履いてAA会場へ行きました。この経験を踏まえて自立しても雨の日は長靴を履いて行けば良いと考えました。長靴はプライドの高い僕にはダサいとしか思えなかったのでした。
宿泊所から更生施設『民衆館』への移動が決まりました。ここが僕の大きな転換期でした、おこずかいがもらえる!『5千円』嬉しかったです43歳の大人が喜んだのです!!アルクでのプログラムも進み2-3廻り、就労の提案、何回か面接に行き落ちる経験をしました。自分は ダメなんだ~、そこで提案を破り昔の仕事スーパーの八百屋さんへ面接、合格!少し提案を破ったことが後ろめたかったけど働き続けました。アルクも修了し自立、ここからは一人での生活がはじまりました。AAへも毎晩参加しました。そこで育てられた僕は今17年の飲まない時間ができました。
先日あれだけ恨んでいた母が他界しました。母を恨んで20歳で家を出た僕は家庭も持ち子供も授かりましたがお酒でダメになりました。母はそんな僕を責めました自殺しようとした時も死なせてくれなかった母、今年6月妹からの緊急電話があった時行って良いのか?母も受け入れてくれないのでは?でも父が許してくれました。アルクからタクシーで市民病院へ行きベッドに横たわり機械に繋がれた母は小さくなっていました。最後を看取ることが長男としてできました。葬儀も父から長男として役目を言われ無事に終わる事ができました。あれほど恨んでいた母、僕がお酒を止めた事も知らずに息を引き取りました。残された父はまだ半信半疑です、ただ「お前がお酒を止めたことはえらい!」・・・と焼酎を飲みながら言いました。父には退職金でサラ金を清算してもらったこともあり目を見て話せなかったけど老いた父がこれから一人で生活をしてくのに何かできないかと考えています。
お酒に手を出さないで今日までこられたのも仲間のおかげとプログラムがあったからです。不安から始まり何回も飲みたいけど飲めない、昔に戻りたくない、こうやって断酒が継続できました。先日もAAミーティングで話しましたが経験と希望の分かち合い、不安から希望へと先行く仲間が見せてくれたように、僕も後ろ姿を見られていると気付かされました。
病気を知り、回復が出来ると!今日も利用者さんと笑顔で・・・僕の好きな言葉は『一日一笑』これは一時宿泊所からAAに通っていた時のテーマの一つです。
今も苦しんでいる仲間に経験と希望の分かち合いをし続けていきたいです。