アルクたより REBORN ~心が生まれ変わった物語 第4回 ~
飲まない“奇跡”の先にある“希望”
九州男児の気風もあり「高倉 健」さんのような男性が理想でした。
(もちろん、理想と現実は違い、だからアルコールが必要だった?)
人前では陽気を飾り、悩み、苦しみを人に相談して解決するなど、当時の自分にはできませんでした。
実家は裕福ではありませんでしたが、兼業農家だったので食べるものには困らず。ワンパクで逞しく育ててもらいました。父は家長で鉄の掟(ワンマン)でした。上機嫌のときは良いのですが機嫌が悪いと近寄れません。母親は僧侶の長女で「しっかりしなさい」と躾がうるさかったです(愛情だったのでしょうが)。
再婚同士の両親を尊敬できず、人に相談することが身につかず、信頼関係が築けない特徴(AC問題)があると、アルコール治療に繋がって2~3年後に理解することができ、父に対する恨みが和らぎました。
【一発逆転】
初めてブラックアウト(飲酒による記憶の欠落)を経験したのが19歳のときでした。辛いことや嫌なことは酒を飲んで忘れてしまえ!の【一発逆転】を獲得し、得意技だと思っていました。
【浮世の憂さ晴らし】
仕事は嫌いではなくガテン系(肉体労働)職業で、休日返上出勤し遊興費に充てました。飲酒運転や暴力事件で警察介入があるたびに、母や会社の上司が引き取りに来てくれていました。アルコール問題はありましたが、当時は訓練したら上達すると思い込んでいました。まさか体質の病気だったとは!
サラ金・ローンが増えていくばかりでしたが、自分は「借金も財産のうち」と人前では豪語していました。部屋に帰り一人になると「どうしよう?困ったな!」です。そんな自分(現実)が嫌でまた一升瓶に手が伸びていく。
無理がたたったのか?24歳で大腸癌オペ、25歳で転移性肝臓癌で再手術を行いました。将来への不安や身体不調の理由で睡眠導入剤「ハルシオン」を処方してもらい、アルコールと併用するようになり、10年お世話になった会社を失職し、居候していた実家も居づらくなり新天地を求め関東へ。
【路上生活】
業務ミスや欠勤も増え、2002ワールドカップサッカーもろくに見られない。こんなに酒を飲まなければいけないのは「仕事のストレスだ」と思い込み、アパートの家財道具もそのまま放置し、職場近くの河川敷でプチホームレス生活が始まりました。酒量が減る?かと思っていましたが、やることないので結局、飲むしかない生活が1ヶ月ほど続きました。
所持金がなくなり、未払い金催促するために、盗んだ自転車で元職場へと向かい、酒の力で半ば強引に集金しましたが、多摩川河川敷で寝泊りしていたある日、酒がなくなり酒屋に行こうと思い、酔っていたのか高さ4メートルの堤防を自転車で駆け上がりたい衝動でした。酔った頭と体なので途中で転倒し、右顔面に大きなすり傷を作り3ヶ月ほど傷跡が残ってしまい、就職活動はおろか人と話もせず(鳩とスズメが話し相手)、自分を見捨てた家族・社会を恨んで飲むしかありませんでした。プチホームレスのつもりでしたが本格的な路上生活が10ヶ月続きました。
人生に対する態度と展望が枯渇し、どうせ自分なんか酒も上手に飲めないダメ人間だと思うようになりました。当時はそうするしかなかったし、その経験が今に生きているのだと自分は思います。
寿町にたどり着き、自立支援施設はまかぜへ入所し人生初の精神科受診となり、ことぶき共同診療所の鈴木 伸Drから晴れて?「アルコール依存症」の診断を戴き、36歳の平成15年11月に旭区の神奈川病院にアルコール治療で入院しました。
【脱走計画】
自立更正施設「民衆館」入所と同時に夜のAA参加が始まりました。まだステップ3(委ねる)の決心がつかず中途半端に考えていました。
区役所CWさんのアドバイスで身体障害者手帳と障害年金申請し、一時金が300万円受給することができました。通帳から現金を引き出し2晩を葛藤しました。
半年近くのミーティング出席と仲間の姿を見せてもらった(ステップ1)おかげで「お金を使い果たしたら、また飲むしかないし、もう横浜市に世話になれないかも」と思い直し、保護費返還となりました。
【仲間と共に今日一日】
同期のある仲間の表情がだんだん険しさが少なくなり、自然体で過去の出来事を話すんです。辛そうじゃないんですね。労を惜しまずプログラムに取り組んでいて回復のモデルを見せてもらったんです。
飲まない生き方はまるで「暗い夜道」に似ており、おっかなびっくりでしたが、昼夜も近くに(嫌でも?)仲間がいてくれました。いろんなことに反応・誘惑されながらでも、自分には仲間とサポート体制(医療、施設担当者、CW)が整っていました。
「飲まないために道具として使ってください」とスタッフから言葉をもらいました。その言葉を自分も利用者さんに使わせてもらっています。
【ハイヤーパワー】
・ソーバー3年経過した頃、20代半ばからの微熱体質が改善されました。酒の影響だったのか?精神的作用か?主治医もビックリ!?でした。
・その後、ステップ5をスポンサーにしていただき、平成20年にアルクスタッフとして声をかけていただきました。2年間お世話になった清掃会社に人生初の退職届を提出できました。
・もちろん飲まない生活を送れるのは奇跡といっても
過言ではありません。
そしてそしてまだ機会が訪れませんが、「当時の横浜市鶴
見区保護課:担当CWさん」と、「16年前に警察署に身
柄引き受けに来てくれた実弟」に埋め合わせすることが、
これからの希望です。