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アルクだよりから~シリーズ「窓を開ければ…」

アルクだよりから シリーズ「窓を開ければ」

「アルクだより」から通所者さんの声をお届けします

~「窓を開ければ (窓を開けば)」~

『アルクだより』は、平成4年に第1号が発刊され、現在、No.256を数えています。アルクだよりの連載記事の一つ「窓を開ければ」に掲載された多くの通所者さんの声をお届けしたいと思います。今回は2021年5月30日発行251号より、掲載させていただきます。

*文章を掲載するにあたり、原則として施設名称等を含め執筆当時の原文のままとしておりますが、個人情報や一部の固有名詞等は変更しております。

2022年5月1日

アルクだよりから~シリーズ「窓を開ければ…」

アルクだよりから シリーズ「窓を開ければ」

「アルクだより」から通所者さんの声をお届けします

~「窓を開ければ (窓を開けば)」~

『アルクだより』は、平成4年に第1号が発刊され、現在、No.254を数えています。アルクだよりの連載記事の一つ「窓を開ければ」に掲載された多くの通所者さんの声をお届けしたいと思います。今回は2006年9月21日発行104号より、掲載させていただきます。

*文章を掲載するにあたり、原則として施設名称等を含め執筆当時の原文のままとしておりますが、個人情報や一部の固有名詞等は変更しております。

 

     アルク・デイケア・センター  通所者S
 私が、ホームレス状態で、区役所へ保護を求めたのが、平成18年4月5日の事でした。保護課の職員の方に、今迄の経過を話したところ、寿町に、自立支援センターがあり、そこから更正施設に行ける事を聞き、まずは入りました。すぐに、クリニックで、アルコール依存症、ギャンブル依存症と診断され、もう一生、アルコールが飲めないのかと思ったけど、 自分の為だと思って、病院に通い、アルクというグループセラピーの場に参加する決心をしました。
 アルクヘ行ってからは、不安だらけで、みんなの話をとりあえず聞き、そのうち自分も指名され、口べたながら、精一杯自分の事を話しました。自分は、多くの人達の前で、話すのは苦手で、テーマが出されるけど、何を話して良いか、戸惑う時があり、アルクに通うのも、仕方が無く通っていました。A室からB室に移っても、毎日毎日、アルクプログラムに従って、 ミーティングをしました。
 B室に移ってから3日位して、更正施設に入り、そこから第1アルク、AAに通い、 自助グループも変わり、会場が遠くなり、最初は、慣れる迄大変でしたが、アルクに来て、本当に良かったと思っています。とにかく、これから一日一日を大切にし、我を無くす様にして、仲間から力を貰い、生きて行こうと思います。私は、アルクから、勇気と希望を貰い、落ちつきを取り戻した様な気がしています。

 

    『第3アルクに通所して』
 私はアルクに通所し始めてから1年が過ぎ第3アルクに移るよう提案され、受け入れ身を任せました。第3アルクのドアを開けると、手前には『自分で気づくプログラム』と、そして遠くには『自立への道』と書かれていました。 道の両側には自立への手段が書かれていて自分で選べるように提案されていました。
 今、私はそこに一歩足を踏み入れ考え出しました。 そこに居る仲間達もこれからの事どのように進んで行くべきかを考え行動していました。これから私も飲まないで生きて行くのにどのような道を歩いていけばよいのか、仲間と共に分かち合いの中から探していきたいと思います。今、アルコールで苦しんでいる仲間もアルクとAAのプログラムを認めて行動していれば必ず自分を見つめ直す日が来ると、私は信じています。どうか諦めないで『今日一日』を続けていってほしいと思います。 自分が変わりながら回復して生きていける事に気がつきますように・・・・・ありがとうございます。

 

    『私がアルク・デイケア・センターに入った理由』 第2アルク・デイケア・センター
 私の仕事は料理・菓子の職人でした。遊びは、マージャン、土曜夜のオールナイト映画で酒は仲間内で休みの前の日に飲む程度でした。27才で結婚して子供が3人( 娘1,男2) マイホームを立て幸福な毎日が続いていました。しかし平成12年に会社が倒産し酒に溺れるようになったのです。
 平成15年( 離婚) 生命保険を解約し大金を手に入れ家の名義をキレイにして家を出ました。これからが私の人生のどん底の始まりでした。友人のアパートに入り込み家賃を半分払い夜の生活が始まり、酒とカラオケという毎日の生活、夕方から飲みに行き朝帰りを続けて、お金はあっという間に無くなりました。残ったのは、ぽろぽろの体と魂の抜け殻、死ぬにも死に切れず役所の世話になり、パン券・ドヤ券・自立支援センター入所… 又パン券・ドヤ券。そして二度目の入所で健康診断を受けて入院、その時に生活保護に繋がりました。そして去年の8月退院、その時にはアルコールは抜けましたが体力も気力もない、ケースワーカーからは最初は2. 3時間の仕事でも良いから探しなさいと言われましたが、そんな気力などありませんでした。
 自分は無気力で体力の回復もなくダラダラした日々を過ごしていました。友人に連れられてアルクの門を叩いたのです。アルクのプログラムを読んだら、何だ当たり前の事ばかり書いてあるとすぐに分かりました。でもまだ25年目の離婚で魂の抜け殻、生きる気力もなかった。毎日司会者の話や仲間の話を聴き自分も話すようになって午前、午後、夜のAAと3回のミーティングに出席することによって、やっと生きる勇気を貰いました。アルクプログラムの2~3廻りをやり遂げてから就職口を探し、行政、アルク、仲間に感謝をしつつ恩返しをしたいと思う次第です。時間と行政、アルク、仲間が私を救ってくれたのです。これからは第2の人生に向かって頑張って行きたいと思っています。

 

      『本牧荘に入居してから今までの事』
 一番目に思う事は「入居させて頂いて本当に良かった」…「助かった」という事、簡宿にいた間は「一杯の酒に手を出す事は出来ない」 と理解したつもりでも、気持ちの奥底にはしばらくの間、飲まずに過ごせたので「時には少し位なら大丈夫じゃないかな」 という気持ちが時々顔を覗かせていましたが、本牧荘に入居する事になって完全な諦めからか、飲酒欲からの不安定な感情がなくなって、「酒への囚われ」が消えたように思えます。
 囚われがある状態での3ミーティングと、なくなってからの3ミーティング、同じミーティングでも「見る、聞く、話す」事の内容がより素直になってきたような気がします。治療・回復にはまず飲まない事が第一条件というのがうなずけるような気がします。二番目は3ミーティング以外の時間ですが、普通なら「一人の気楽な私生活の時間」(気ままな)のところですが「4名の共同生活」と、後2人の本牧荘仲間での人間関係で、いやがおうでも譲り合いと協調の努力が必然的に迫ってきて、対応しなければならない「他人に対するイライラの気持ち」などいくつかの「捉われ」が消えてしまったような気がして、少し楽になってきたような気がします。

2022年1月20日

アルクだよりから~シリーズ「窓を開ければ…」

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「アルクだより」から通所者さんの声をお届けします

~「窓を開ければ (窓を開けば)」~

『アルクだより』は、平成4年に第1号が発刊され、現在、No.253を数えています。アルクだよりの連載記事の一つ「窓を開ければ」に掲載された多くの通所者さんの声をお届けしたいと思います。今回は、昨年の249号より、掲載させていただきます。

*文章を掲載するにあたり、原則として施設名称等を含め執筆当時の原文のままとしておりますが、個人情報や一部の固有名詞等は変更しております。

2021年11月11日

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